育児と趣味の料理とクラシック音楽と
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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。 新年の抱負(New Year's resolution)を書こうと思っていたが、これから考えることにする。 ここ2、3年、自分の抱負を公開するのがはやっているらしい。 WishList(アマゾンにある購入希望品目と同じ)という形で本にして出版してしまい、それがベストセラーになった人もいる。 大雑把なリストはあるのだが、もう少し時間をかけて詳細にしてみるつもり。 PR
今年の自分を振り返ると、希望して職場異動したことが最も大きな変化だった。
2006年に知り合いから声をかけてもらい、異動の希望を出して、社内審査を通過して、異動内定が出たの3月頃。それから、前職での引き継ぎに取りかかったのだが、当初の予定通りには運ばなかった。 私がコーディングした部分に不具合が複数見つかり、その原因究明と対策に追われた。結局、不具合が収束し、引き継ぎも完了したのは、5月中頃で、異動は6月にずれ込んだ。 それからは、新職場での新しい仕事に懸命に取り組んだ。11月の社内技術展まで突っ走ったのだが、そのあたりで息切れしてしまったような気がする。 前職でラストスパートしてから気を張ってきたのが、12月に風邪気味だったりしたせいもあり、ちょっと現在低調。 年明けには、また気合いを入れ直して行きたい。 皆さんの今年はいかがでしたか。 それでは、良いお年を御迎えください。
再放送だが、SPの第1話〜第4話を見た。
大場久美子が女性都知事という設定に驚いたが、個人的には、番組の中でクラシック音楽が流れるのが気に入った。 第1話では、ベルリオーズの幻想交響曲の第4楽章「断頭台への行進」だった。 第2話では、手術を受ける患者(露木茂)からの要請(だからといって手術室に音楽を流すのってあり?)で、ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第1楽章が流れていた。 第3話では、ショスタコの第7番だったっけ? 昔、アリナミンVのCMで、シュワルツネッガーが「チチンブイブイ」とか歌っていたやつ。 第4話では、ショスタコの第5番の第4楽章が使われていた。 年明け5日の深夜に第5話から第8話まで再放送され、その後、1月12日から第9話が放送されていくようだ。 クラシック音楽の使われ方を含めてちょっと期待している。
会社の冬休みに入って、もう少し自分の勉強時間が確保できるかと思ったが、なかなかそうはいかない。
自分自身の気合いとか集中力の問題もあるが、それ以上に、子パンダにとられてしまっている。 育児を妻任せにしたくないので、休日にはできるだけ家事も育児も主体的に関わるようにしているせいか、子パンダは私に懐いてくれている。それは嬉しいことなのだが、自分の勉強時間を作ろうとしたときに、これが逆効果をもたらす。 子パンダが何か用事があると、まず私のところへ来るようになっている。 歯磨きの仕上げや、お尻拭きの確認、お茶(ペットボトル)やお菓子をとってほしいとか、高いところに片付けてあるおもちゃを出してほしいとか... 最近は、一人で部屋で遊んだりテレビを見る時間が増えてきたようで、子パンダが起きている日中でも、私の時間を作ることはできるようになってきたが、それでも、午前中に1時間、午後に1時間程度が限界のようだ。 寝かしつけるのも隣の布団で寝るのも私の役目なので、子パンダが寝静まるのを待って自分の作業を始めるのは、かなり気力が必要。私の体調や健康状態によっては、私の方が先に眠ってしまって、そのまま朝まで起きられないこともままある。 それでも、せっかく今年は早めに年賀状を書き上げたし、大掃除も早めに済ませた(日頃から掃除をこまめにするようにしたので大掃除も簡単に済ませたのだが)ので、せっかくの冬休みの時間を有効に使いたいのに。 数年後、数十年後から現時点を振り返ると、子パンダに少し寂しい想いをさせてでも自分の勉強時間を確保すべきなのか、それとも子パンダと一緒に時間を過ごすべきなのか。 今の私にはどちらとも判断できません。
先週くらいに、おじいちゃん(妻の父)に機関車トーマスのブロックを買ってもらった子パンダ。
最初は、おじいちゃんにトーマスたちを全部組み立ててもらったそうだが、そのうち、自分で組み立てるようになった。このブロックの欠点は、トーマスたちの顔がシールになっていて自分で貼付けるようになっていることだ。おじいちゃんがシールを貼付けてくれたが、遊んでいるうちに剥がれてくるらしく、2、3日でどの機関車も顔はなくなってしまった。 そのせいか、ここ数日はトーマスとは関係ないものを作ろうとしている。 勝手な列車や自動車の類まではわかったが、風車を作ろうとしているのは見てもわからなかった。さらに今日は、ピストルをまねしてみたらしく、私に向かって「バキューン」とやってきた。 ルパン三世の見過ぎか? トーマスはもうどうでもいいのだろうか。 ブロックっていうものは、トーマスセットといったって、そういう枠にとらわれずに自由に組み直すことができるのがいい点ではあるが。
北陸朝日放送制作「指揮者岩城宏之最後のタクト」を見た。
岩城宏之氏のことは著作もいくつか読んでいたし、本映像に収録されたエピソードの類のことはたいてい知ってはいた。 度重なるガン手術などによって体調は良くないのに、なぜベートーヴェンの交響曲全曲演奏を一晩でやろうと考えたのか。その話を耳にした当時は、馬鹿げているとしか思えなかった。指揮者の勝手な話題作りのために演奏者たちが巻き沿いにされて迷惑だろうと考えていた。聴衆だって、長い休憩を入れるとはいえ、午後3時半から深夜1時までの約10時間に及ぶ演奏会につきあうだけでも、もの凄いエネルギーを要求されるから。 でも晩年の2年ほどの、舞台裏を含めた映像を見て、これほど心が揺さぶられるとは思わなかった。 日本人は、モーツァルトやベートーヴェンではヨーロッパに勝てない。その意味もあって、日本人作曲家に新曲を委嘱し初演してきた岩城宏之氏。その氏が自分の残りの人生をかけたいと思ったのがベートーヴェン。原点回帰というのはこのことか。 一夜限りのはずだった全曲演奏会は、それを演奏したのがN響メンバーだったせいか、自身が設立したオーケストラ・アンサンブル金沢からもやらせてほしいと懇願され、再びやることになってしまう。 肉体は悲鳴を上げていただろうが、精神は大きな充実感を味わっていたようだ。 「ベートヴェンにはまっています」と無邪気に応える笑顔が清々しささえ感じる。 登山家が、さまざま準備をしているとはいえ、命がけでエベレスト級の山に挑戦するのに似ているのかもしれない、なんてことが頭をよぎった。 「ベートヴェンの交響曲は9曲で巨大な1曲だね」といったのが印象的。 9曲全曲通して演奏すると、そう俯瞰されるものなのだろうか。 私は指揮者でないし、仮に指揮者であっても全曲通して演奏する気もないが、CDで全曲通して聞くことならできる。が、はたしてそんな気になるかな。 余命半年などと宣告されたら(岩城氏は宣告されていないと思うが)、皆さんは、いったい何に時間を費やしたいでしょうか。そんなことを考えた。 |
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