育児と趣味の料理とクラシック音楽と
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昨日、子パンダの幼稚園からの帰り道、秋の虫の声を聞かせようと、立ち止まらせたら、子パンダには、虫の声に耳を傾けるより、目の前にいたコカマキリが見えてしまったらしい。さっそく、そのコカマキリを捕まえた。
帰宅後、虫かごに入れたり出したりして、遊んでいた。 私は出社したのでその場にいなかったのだが、今日も、そうやって遊んでいるうちに、途中で逃げ出したらしい。窓などは開けていないので、外に逃げ出していないようだが、どこへ行ったのか不明。小さいカマキリなので、近くを這っていても気がつかないだろう。 人を襲うことはないので我々には実害は発生しないと思う。 きっと物陰に隠れているとは思うが、願わくば、ショウジョウバエのような虫でも食べて生きていてほしい。子パンダに捕まえられた哀れな昆虫の無事を祈るばかりだ。 PR
季節の変わり目には、毎度のように風邪をひく私。
体調管理には注意しているつもりなのだが、今回もひいてしまいました。 夜中から38℃を超える熱が出て、寝付けなかった。今朝も熱は下がらず、結局、会社を休んでしまった。今回の風邪はおなかに来るものだったので、通勤電車に乗るのは怖いが、咳や鼻水は出ないので、自宅で本を読むことができたのが嬉しい。 数年前に買ったまま積んであった、 進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線 を読み終わることができた。 これから読もうという人には、追加講義も収録した、新書版の 進化しすぎた脳の方が安いし、いいでしょう。 中高生対象なので平易でわかりやすく、しかも「わくわく」しながら読める本です。 最近、一般向けの科学書に、こうした惹き込まれるような魅力的な本が増えてきたことを嬉しく思っています。この本を高校生の頃に読んでいたら、きっと違った人生があったかも。
iPod+iTunesを使うようになって、最近CDを買わなくなった。
どうしても欲しい曲は1曲単位で、iTunesから購入できるし、その際、たいてい、30秒の視聴ができるので、「買って失敗だった」ということがなくなったのが大きい。 そうでなくても、私が聞くような曲は、クラシックの中でも売れ筋が外れたものが多いので、よほど都心の大きな店に行かないと置いていない。そんなときに家から、1曲単位で欲しい曲をしかも視聴して確認してから買うことができるだから、CDショップへ行く気がしない。 でも、まだ不十分だと思うことがある。 それはオペラだ。 映像というデータは、音声に比べて巨大である(たとえば60分のCDなら無圧縮で500MBほど。圧縮すれば50MB程度なのに対して、映像の場合、現在のDVDの画質(MPEG-2など)で60分ほどで約2GBになる。40倍!)ため、高速な通信路があっても、ネット配信は負荷が大きいのと、CD以上に著作権関連の問題があるらしい。 オペラのCDでもよいではないかという人もいるだろうが、そこは「劇」としての要素もあるオペラなので、せっかくだから映像も欲しい。 #そんなに画質にはこだわらないけど。 インターネットが普及する前は、レンタルCD屋さんがたくさんあった(クラシック系はあまり置いていないので私はあまり利用しなかったが)が、今それらはDVDのレンタルが主な収入ではないだろうか。 テレビドラマや映画など売れ筋の作品は、そういう店においてあるので、借りて見ることはできるが、オペラのDVDはそういった店で見たことがない。 個々の店舗というのは、商圏が限定されるので、無理かなと思って、TSUTAYAのオンラインレンタルのサイトで、「歌劇」で検索したが、「ドン・カルロ」の1つだけ。ネットでレンタルすれば、商圏は日本全国になるので、それなりに客数も見込めるはずなのに。 そこで、ネット配信に期待を寄せるわけです。 DVDほどの画質でなくてもいいから、(あるいはiPodで再生できるレベルでも可)WindowsMediaPlayerか、QuickTimeで再生可能なフォーマットで、DVDより少し安く販売してもらえないでしょうかね。 ちょっと調べた範囲では、見つかりませんでした。 それなりに需要はあると思うのです。 関門がいろいろあるとは思うのですが、可能なら、私自身がやってみたい事業でもあります。
カンタータを聴き始めたばかりで、ブランデンブルク協奏曲を「耳たこ」なほど聞いた人間にとっては、なんとも不思議な感覚に襲われる。
カンタータ第174番「われ、いと高き者を心を尽くして愛しまつる(Ich liebe den Höchsten von ganzem Gemüte)」 第1曲目のシンフォニアが、ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048の第1楽章をもとに書かれており、似ているが、よく聞くと明らかに違う。 ブランデンブルクの方は、弦楽合奏(通奏低音にチェンバロが加わる)なのにカンタータの方は、ホルン(コルノ・ダ・カッチャ)やオーボエ、コールアングレ(ターユ)などの管楽器が加わるのだ。 それにしても、慣れというのは恐ろしいもので、管楽器が入っているからカンタータの方だとわかっていても、聞き慣れた第1楽章の後には、後続する楽章が頭の中で期待して鳴ってしまう。そこへ、第2曲アルト独唱を伴うアリアが始まる。幸福な音楽。全5曲のうちで最も長いのはこの曲だ。じっくり味わいたい。 バッハの曲には、このようにアルト独唱がソプラノと同じかそれ以上に大事な役目を与えられることが多い。ベートーヴェンの「合唱」などのようにアルトがソプラノに隠れてしまいやすい曲を聴いてきたせいか、とても新鮮だ。 第3曲テノールによるレチタティーヴォは、悲しげなので、朝の通勤電車では飛ばすかも。 でも、1分程度の曲なので、お腹の調子と気分がよければ聞くことができる。 第4曲バス独唱のアリアは明るく元気な曲(といってもバッハのことですから、最初から最後まで能天気な明るさではありませんが)。バスにこういう役割が与えられるのも、私には新鮮だ。私が聞いてきた狭い範囲のオペラなどでは、バスといえば、重い音楽が多かったので。 最後の第5曲は混声四部コーラスで、全体の締めくくり。 キリスト教徒でなくても、この終曲を聞いて一日の終わりにするのも悪くないと思う。 全体で20分程度の曲なので、ちょっと気分転換をしたいときに通して聞くのも良さそうです。
数ヶ月前まではそんなことはなかったのに。
最近、夜、一人でトイレに行くのが怖いらしい。私に付き合えとせがむようになった。 トイレは、子パンダの寝ている部屋のまん前なのだが。 寝付いたと思って、私が別室へ移動すると、1,2時間後には、私と連れ戻しにやってくる。なぜか、夜中に目が覚めるらしい。それでも、泣かなくなっただけ進歩したのかも。 子パンダと一緒に寝るのはつらい。 まず、彼はかなりの暑がりで、私はかなりの寒がりだから。 こんなに涼しくなっても、彼は冷房を入れないと眠れないのだ。私は、厚手の布団に包まっても寒いくらいだ。 健康によろしくないので、タイマーで夜中に冷房は切れるように設定しておくのだが、そうすると、子パンダは激しく転がり始める。大きく成長した足が容赦なく私を蹴りつける。これでは眠れないので、移動するのだが、なぜか、すぐに、子パンダに連れ戻される。この繰り返しで、私は寝不足。 早く一人で眠れるようになってくれーー。
ちょっと古い本だが、 「三色ボールペン情報活用術」を読んだ。
本に書き込みをするのに抵抗を感じるのは、後で子供にあげたり、人にあげたり、古本屋に売ることが頭にあるからで、古典といえるような文学作品は別にすれば、特にビジネス書の類は、自分に価値があると思えば、それを吸収しつくすのが、正しい接し方なのかもしれない。また、3色に区別するのを読書だけではなく、手帳に応用するというのは、後で見直すことが本来の目的である手帳において、頭の中を意識して整理しながら書くという意味で見習うべきだと感じた。 アマゾンのレビューにもすでに、いろいろな視点から感想が書かれているので、それらとなるべく重複しないように追加の感想を述べると以下のような感じ。 著者は「青=客観的に重要、赤=客観的に最重要、緑=主観的にピンときたもの」とみなし、黒は思考停止だという。実際には、青、赤、緑のいずれのボールペンをも使わかった部分が「黒」であり、客観的にも主観的にも捨てていいと判断したことになっている。つまり、著者は、情報を「青」「赤」「緑」「それ以外(印刷されたままの「黒」)」の4種類に分類していることになる。 アマゾンのレビューの中に、3色が多すぎると感じる人が多いのも、実は結局4色に分類していることになるからではないだろうか。 著者の分類法では、青の存在意義が薄いと感じたのは私だけだろうか。 「赤」は最重要だが、それだけだと、後から読み返したときに、情報を充分に再現できない(それほど絞り込まれたエッセンスという意味)ので、それを補うような情報が「青」になっているように思える。私には、「青」の部分は何らかの線がひいてあればよいのであって、色は必要不可欠だとは思えない。つまり、「青」の部分は「黒」で代用しても良いように思う。 実は、私は赤緑色弱なので、赤と緑が難しい。本書の中で例として、赤と緑で色分けされたらしい部分が区別できなかった。私には「赤」と「青」の区別は容易だが、「赤」と「緑」は同系に見える。なので私には、著者の意識レベルでの色に対する思い入れが共有できない。こういう私は、情報の重要度は、本質的には色ではなく形でつけるしかないと思う。 私が色に頼らず著者と同じようなことをしようとすれば、 客観的に重要な部分には「下線」を、最重要な部分には「二重丸」(著者も「ぐるぐる巻き」と称して丸く囲んでいる)、主観的にピンとくるものには「花丸」くらいがよさそうだ。 著者は、情報の重要性を色によって浮き立たせるのが狙いであるようだ。 しかし、色というのは、照明の影響を受けやすい。ちょっと薄暗いだけで、正常な色覚の人でも色を見分ける能力は落ちるらしい。 #そんな環境で本を読むのが間違いだと指摘されそうだが。 そういう中でも形状は明瞭に違いを教えてくれる。そういう点からも、色に頼るよりも形に違いを持たせる方がよいのではないか。 これには、形の凝ると、時間がもったいないという反論も聞こえてきそうだが、著者が本書の中で最重要なものは「ぐるぐる巻き」にすることから、時間を少し多めにかけて記憶にとどめることの重要性を説明しているのでいいでしょう。 だいたい、私は、赤と青の区別が容易だから、この2色を使い分けることはできるが、全色盲の人はそれさえもできないはずだ。そういう人への配慮が全くないのが、本書の最大の欠点といえるかもしれない。 |
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