育児と趣味の料理とクラシック音楽と
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子パンダはいつでもよく食べるのだが、この正月はさらに、餅が好きになったせいもあって、毎朝のように、餅を食べていた。餅はパンなどよりも腹持ちが良いので、午前中はあまりお菓子を要求しないようになっていたようだが、昼食や午後のおやつは、全く関係ないらしい。しかも、夜は夜で結構食べるのだから、よほど体を動かさない限り
太って当然だ。その太ったからだで私にジャレて乗っかってくるのだから、たまらない。 かくいう私もこの正月には、少々食べ過ぎたらしく、1kg以上太ってしまった。どおりで、ズボンのベルトが苦しいわけだ。子パンダを揶揄してる場合ではないです。 PR
記事によると、iTunes Storeで、DRMフリーが拡大するらしい。800万曲とか、1000万曲とか書いてある。
しかし、ライセンス問題があるものもあり、全面的にDRMフリーにするわけではないようだが。それに、DRMフリーにできる楽曲に関しても、すでに購入している楽曲に関して、購入価格の30%程度の追加料金が必要らしい。 私が期待していた、Ruth Ziesakの歌うマーラーの交響曲第4番は、(今のところなのか、これからもなのかは不明だが)対象外のようだ。 Sonyとの契約が含まれていることから、Glenn GouldやBilly JoelもiTunes Storeから利用できるようになるのだろうか。そうなってほしい。
1週間ぶりにゴミ出し。今年の初ゴミ出しだった。あまり出かけなかったせいもあって、生ゴミ系がたまっていて、かなり重かった。5袋あったが、重かったのは2つ。
生ゴミは料理の際の野菜くずや肉の脂肪分だったりする。これが重さの大部分。 軽かったものの大部分は、子パンダの紙工作の残骸。折り紙から、紙パックまで使って、いろいろ作っていたから。最近は、折り紙を何枚かのり付けした上に、本人にしか読めない文字でストーリーを書いた本まで作っている。しかも、数日もすれば、本人も読めなくなったり、興味がなくなったりして、ゴミになってしまう。 こういうのは、いつまで続くのだろうか。
フライパンを1つ買い替えた。直径18cmと20cmのものがあるのだが、18cmの方を買い替えた。20cmの方は比較的新しいのだが、18cmの方は結構使い込んだもので、テフロンが痛んでいたのだ。しかし、このサイズ、なかなか見つからなかった。何件も見て回ったわけではないが、たいていの店では最小が20cm。店頭で見るとかなり小さく見えるのだが、自分の台所で使ってみると、それほど小さくない。私や妻が小食なのかもしれないが、2人分の料理をするには、20cmでもちょっと大きすぎると思う事がある。そこで、ちょっとした一品をつくるには18cmが使いやすい。例えば、卵1つでスクランブルエッグやオムレツを作るときは、20cmでは大きすぎるが、18cmだと作りやすい。
18cmにこだわった理由がもう1つあった。18cmの方にはフタがある(後から購入した)のだが、20cmの方にはフタがなかったのだ。18cm用のフタも無駄にしたくなかったということもあった。 テフロンが痛んできた古い18cmでは、卵料理を控えていたが、明日から、また調理しやすい18cmが使える。
皆さんは年賀状を出しているだろうか。20代の若い人はほとんど出さないという噂を聞いたことがある。私の知り合いの中には、40代や50代でも出さない人もチラホラ。最近は、ネットで年賀状代わりになるものもあるし、年賀状のようにかしこまったものを準備せずとも、メールでやりとりすることが多いので、年賀状(および年賀状代わりのネットのサービスを含めて)そのものの存在価値が薄れているかも。
私も、従来型の年賀状は両親の世代のようにネットにアクセスしない人々宛だけにして、自分と同世代やもっと若い人たち相手には、メールなどで済ませたいのが本心。 そうできれば、従来型の年賀状は15枚程度で済むはず。 ところがなかなかそういうふうには割り切れないんですよね。 年賀状の面倒くさいところは、かかる金額ではなく、管理の問題。誰に出したかを記録しておかなければならないし、住所録の更新も怠れない。相手が引っ越しした場合、その人が郵便局に転送申請を出していれば、1年間は旧住所宛に出しても転送されるが、1年以上経過した場合や、転送申請していない場合には、戻ってきてしまう。しかも、数日経過してから戻ってくる。住所の誤記入の場合も、戻ってくるまでに数日かかるのが普通だ。また、注文印刷してもらった年賀状の場合、せっかくそれなりの金額を支払って作っても、予定した人数以上に受け取ってしまった場合、超過分は当初のデザインのものでは出せなくなる。 これほどまでに、柔軟性の低い旧来の年賀状にはできるだけ早く、決別したいと思いつつ、なかなか踏み切れないのは、私が優柔不断だからかな。
自分が知っている曲でなくても、誰の曲なのかほぼ言い当てることができる作曲家というのが存在する。たとえば、ロシア系だとラフマニノフやプロコフィエフ、ショスタコービチなど。旋律の節回しに個性があったり、和声が個性的だったり、リズムが印象的だったりするので、かなり高確率で言い当てられると思う。
反対に、知らない曲だと言い当てにくい作曲家の代表が、私にとってはチャイコフスキー。ピアノ協奏曲第1番を知っているのに、第2番はチャイコフスキーとは当てられない。交響曲も第4、5、6番はよく知っているが、第1、2、3番やマンフレッド交響曲を聞いても私には当てられない。こういうのは、個性が薄いのか、多様性があるからなのか、それともただ単に私が個性を捕らえきれないからなのか、わからないが。 個性って何なんでしょうね。 |
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