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ちょっと古い本だが、 「三色ボールペン情報活用術」を読んだ。
本に書き込みをするのに抵抗を感じるのは、後で子供にあげたり、人にあげたり、古本屋に売ることが頭にあるからで、古典といえるような文学作品は別にすれば、特にビジネス書の類は、自分に価値があると思えば、それを吸収しつくすのが、正しい接し方なのかもしれない。また、3色に区別するのを読書だけではなく、手帳に応用するというのは、後で見直すことが本来の目的である手帳において、頭の中を意識して整理しながら書くという意味で見習うべきだと感じた。

アマゾンのレビューにもすでに、いろいろな視点から感想が書かれているので、それらとなるべく重複しないように追加の感想を述べると以下のような感じ。

著者は「青=客観的に重要、赤=客観的に最重要、緑=主観的にピンときたもの」とみなし、黒は思考停止だという。実際には、青、赤、緑のいずれのボールペンをも使わかった部分が「黒」であり、客観的にも主観的にも捨てていいと判断したことになっている。つまり、著者は、情報を「青」「赤」「緑」「それ以外(印刷されたままの「黒」)」の4種類に分類していることになる。
アマゾンのレビューの中に、3色が多すぎると感じる人が多いのも、実は結局4色に分類していることになるからではないだろうか。
著者の分類法では、青の存在意義が薄いと感じたのは私だけだろうか。
「赤」は最重要だが、それだけだと、後から読み返したときに、情報を充分に再現できない(それほど絞り込まれたエッセンスという意味)ので、それを補うような情報が「青」になっているように思える。私には、「青」の部分は何らかの線がひいてあればよいのであって、色は必要不可欠だとは思えない。つまり、「青」の部分は「黒」で代用しても良いように思う。
実は、私は赤緑色弱なので、赤と緑が難しい。本書の中で例として、赤と緑で色分けされたらしい部分が区別できなかった。私には「赤」と「青」の区別は容易だが、「赤」と「緑」は同系に見える。なので私には、著者の意識レベルでの色に対する思い入れが共有できない。こういう私は、情報の重要度は、本質的には色ではなく形でつけるしかないと思う。
私が色に頼らず著者と同じようなことをしようとすれば、
客観的に重要な部分には「下線」を、最重要な部分には「二重丸」(著者も「ぐるぐる巻き」と称して丸く囲んでいる)、主観的にピンとくるものには「花丸」くらいがよさそうだ。
著者は、情報の重要性を色によって浮き立たせるのが狙いであるようだ。
しかし、色というのは、照明の影響を受けやすい。ちょっと薄暗いだけで、正常な色覚の人でも色を見分ける能力は落ちるらしい。
#そんな環境で本を読むのが間違いだと指摘されそうだが。
そういう中でも形状は明瞭に違いを教えてくれる。そういう点からも、色に頼るよりも形に違いを持たせる方がよいのではないか。
これには、形の凝ると、時間がもったいないという反論も聞こえてきそうだが、著者が本書の中で最重要なものは「ぐるぐる巻き」にすることから、時間を少し多めにかけて記憶にとどめることの重要性を説明しているのでいいでしょう。

だいたい、私は、赤と青の区別が容易だから、この2色を使い分けることはできるが、全色盲の人はそれさえもできないはずだ。そういう人への配慮が全くないのが、本書の最大の欠点といえるかもしれない。
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「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891) 」福岡 伸一 (著)
を読んだ。帯に書いてある「読み始めたら止まらない極上の科学ミステリー」という文句に偽りなし。実に面白かった。私は生物学は門外漢であるが、そんなことは関係なく、探偵小説でも読むかのように楽しむことが出来た。私にとって、つっかえる要因となったのは、生物の専門用語ではなく、文学的な熟語たちだった(私が日本語の勉強不足か)。
各章の導入が詩的で叙情的なのだが、それが巧みな例えになっていて、本編の説明の比喩として使われる。これが実に巧いためか、挿絵をほとんど使わずに文章だけで分子生物学の現象が理解できるようになっている(とはいえ、もっと挿絵があったら、もっとすんなり理解できるような気もするが)。
この本は、理系はもちろん、文系の人にも是非お勧めしたい。

PS.
ようやく秋らしい気温になった。
私はどちらかといえば寒がりの部類なので何の基準にもならないが、日中、少し歩いたくらいではほとんど汗をかかなくなった。
先日のNHKプロフェッショナルを見ました。
今回のゲスト長沼毅氏(生物学者)は、最高でした。
日常の瑣末なことにとらわれている自分が小さく感じます。
とてつもなく大きなテーマに飄々と挑んでいく。
掛け値なしで仕事を楽しんでいる。
ただし、現在の長沼氏に境地に達するのに、平坦でたいした苦労もなく到達するのは難しいかもしれない。長沼氏はいったん、正反対の方向へ極限まで突き進んだことがあって、これではいけないと引き返してきたから。
そんな経験はしたくもない。だが、今の長沼氏の生き方を何分の一かでもよいから、マネできないだろうか。

見忘れた人はぜひ、再放送を見てください。きっと、心がすがすがしくなります。
動く機械というと、私はすぐに高性能なモーターなどを思い浮かべてしまうが、現代の最先端の工場で、モーターのない搬送台車が活躍している。
NHKの サイエンスZERO「江戸のテクノロジー」を見て自分の頭の固さを思い知った。江戸時代のからくり人形をヒントにモーターに頼らず、搬送する荷物の重量とバネの力だけで荷物の搬送を繰り返す台車。太陽電池のようなものもなく、動力に電気などのエネルギーが一切不要。
技術者のはしくれでありながら、電気が必要だと思い込んでいた自分が恥ずかしい。
もっと発想を柔軟にしなければ。
「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 (著), 茂木 健一郎 (著) を読んだ。
未来に希望が持てる本。明るい未来を作っていこうという気にさせられる。
特に若い(と思っている)人が読むべきだと思う。

出たばかりの芽の欠点ばかりをあげつらって、足を引っ張るのはもう止めよう。
日本の社会(特にエリート層)の最大の欠点はそこにあるのだろう。
何の役にも立たないプライドは捨てて、相手のよさそうな部分を思いっきり伸ばしてやろう。
問題ありそうな部分のフォローは、問題をよく認識しているエリート層が補えばいいのだ。

身につまされる記事もあった。
特定の分野だけで生きていくためには、その分野を誰よりも好きになって、朝から晩までやりつづけられなければ勝てないといった記述があった。特にプログラミングをはじめ、デジタルデータとなりうるコンテンツは、コピーコストゼロでネット上を一瞬に駆け巡るのだから、世界中が競争相手となることは理解できる。
オープンソース、著作権フリーの著作物などが、今後ますます増えてくれば、どこに自分の存在価値を置くべきか、よく考えないと私のような中途半端な技術者は、やっていけないようです。
自分とは何なのか、考え直すときかなあ。

梅田氏が指摘しているように、たいていの人は茂木氏のような生き方は、体力的にも無理。特に私のように子育て真っ最中の人間には時間的な制約が大きい。
かといって、梅田氏が実践しているようにほとんどすべての仕事をネット上だけで済ませることができる人も少数だろう。
私のような凡人は、自分が詳しい分野を2、3確保して、組み合わせていくくらいしかないのかもしれない。
日経のサイトに、「ITのプロが厳選・読書の秋にこの28冊」という記事がある。
ITに関連する各専門家に推薦図書を提案してもらったものを集めたものだ。
28冊の中身は、上記サイトを見てみてください。
28といっているが、上下巻になっているものが3つ含まれているかと思えば、少なくとも現時点でアマゾンでは在庫切れになっているものも1つある。
IT関連でないものも多く含まれていて、一般社会人向けのビジネス書と思ってよさそう。
全部を読もうとは思わないが、リスト化しておいて、時間ができそうなときに購入していくのがいいのかな。


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