育児と趣味の料理とクラシック音楽と
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ブリテン/「青少年のための管弦楽入門」からフーガ
全曲の正式なフルタイトルには「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」とある。 正確には、この曲のコーダ部は、フーガの後半に打楽器の強烈なシンコペーションのビートあたりから始まるのかもしれないが、この曲では、フーガ全部が全曲のコーダとして観ることも可能と勝手に解釈する。 10分を超える楽器紹介を兼ねた数々の変奏曲が終わると、静寂の中から軽快なフーガが始まる。 この2分ほどのフーガが、やたらとカッコイイ。 ピッコロから始まる旋律を各楽器が受け継いでいき、ホルンが聞こえてくるあたりから祭りのような雰囲気に盛り上がっていき、トロンボーンのグリッサンドや打楽器が加わると最高潮に達する。 そして、騒然とした音響の荒れ狂う嵐の中から、パーセルの主題が霧の中から浮かび上がるように再現されるのは鳥肌ものだ。 そして、シンコペーションの強烈なビートがポップな爽快感を与えて締めくくられる。 クラシックを聞きなれていない頃は、このフーガが始まる前に飽きて眠くなったものだった。が、このカッコ良さを知ってしまうと、山登りに例えれば、頂上に到達して飲む冷たい水が喉の渇きを潤すような感覚をこのフーガに感じて、何度も聞き込んだものだった。 皆さんも、この爽快感のとりこになってみてください。 PR
子パンダ君が早々に寝付いてくれたため、昨夜はじめて実写版「のだめ・・・」を見ました。
原作のハチャメチャな雰囲気をよく伝えていると思いました。 オケのメンバーは、ほとんどが現役音大生か、楽器経験者なのでしょうか。音そのものは、アフレコでカバーできるとしても特に弦楽器の弾きマネは素人には難しいのではないか。 演奏会の場面では、弦楽器だけでなく管楽器奏者もアップで見えたが、一部を除いて、不自然な感じはなかった。 もし、素人が弾きマネの訓練したのだとしたら拍手ものだ。 それにしても、シュトレーゼマン役の竹中直人は見事。原作では、実は天才という部分が少しは残っていると思ったが、実写版では、その部分が消えて、インチキっぽさだけが強調されたようで、ペテン師にさえ見えるのは、さすが。
数多あるヴァイオリンのためのソナタの中でも、屈指の名曲であるこの曲は、
他の楽器でもいろいろ演奏される。チェロでやるのは当たり前。他にも、たとえばパユによるフルート演奏は特筆もので、ヴァイオリン奏者に聴いてもらいたいほどだ。 私は元々アマチュアのサックス吹きだったためか、私の手元にはアルトサックスによる演奏と、バリトンサックスによる演奏がある。アルトサックスによる演奏は生演奏で先に聴いていたので、音源があって嬉しかっただけだが、バリトンサックスの演奏は衝撃を覚えた。ものすごく熱いのだ。激しすぎるくらいだ。チェロで演奏するよりも、ドロドロした情念のほとばしりさえ感じられてしまって、圧倒される。皆さんも機会があったら、バリトンサックスによるこの曲の演奏に接してみてほしい。 サックスは、発明された時代が遅くて、オリジナル曲にバロックはもとより、古典派、ロマン派の音楽が存在しないため、それらの時代の声楽やいろいろな楽器のための曲をどん欲に編曲して演奏してきていた。教育的な目的を除けば、そういった試みは、サックスを吹いていた私の耳で好意的に聴いても、成功しているとは言い難いものが少なくないのだが、このフランクのソナタは、数少ない成功例かもしれない。 あるいは、この曲が楽器を選り好みしない性格の音楽なのかもしれない。 だとすると、もっと他の楽器でも聴いてみたくなる。ファゴットには、テレマンの時代から豊富に曲が存在するから必要ないのかもしれないが、サックスと同様に生まれの遅かったユーフォニウムや、低音クラリネットの演奏を聴いてみたい。 情報をお持ちの方は、お知らせください。
久石 譲 (著) 感動をつくれますか? を読んだ。
アマゾンのレビュアーも言うとおり、この本は、久石譲氏の仕事に対する心構えがつづられたもの。肝心な部分は、作曲家に限らず、広く社会人一般にあてはまることだと思う。 賛同できない部分もあったが、心に響く部分もあった。 たとえば、 『才能豊かな人は劇薬みたいなものだ。プラスの影響力も強いが毒もある。間違えて服用したら、死ぬ。そういう人たちと互角に与していくためにはそれ相応の覚悟が要る。専門的な能力が試されるだけではない。強靭な精神が問われる。』 個性が強く、一匹狼的な人が周囲に多いのだろうか。 会社の組織内で働いていると、無用な摩擦(これが労力と時間を浪費する)を避けたいがため、個性を出さない方向に傾く。が、いい意味で個性をぶつけ合うことができるためには、自分が相手と対等になれないといけないのでしょうね。 さらにつづいて、 『ものを作る人間に必要なものは、「自分の作品に対するこだわり」「独善に陥らないバランス感覚」「タフな精神」の3つだと思っている』 これなどは、作るものが音楽でなくても、その通りですね。
ビゼー(October 25, 1838 - June 3, 1875)昨日はビゼーの誕生日!。
「アルルの女」第1組曲〜第4曲「鐘」(1872) ホルンのユニゾン開始が印象的な曲。明るくおおらかな 教会の大きな鐘が鳴り響いている感じが出ている。 2拍子でなく、3拍子であるところが、憎い。 実は、裏でヴィオラがホルンと同じ音を16分音符2つづつで 刻むようになぞっている。 これはほとんど聞こえないと思うが、当時のオーケストラの バランス(ホルンが今より音量が小さい?)なら、 効果があったのだろうか。もし聞こえていたら、ひょっとしたら、ほんのわずかに遅れてくる「こだま」のように聞こえるのかもしれない。 ヴァイオリンの主旋律が始まると、ホルンは人数を減らすが、 交代しながら、誰かが常に「鐘」の音を吹き続ける。 ヴィオラの刻みも(一部、チェロにバトンタッチするが)ホルンに従う。 中間部は8分の6拍子。鐘は鳴り止み、テンポが落ち、短調になって フルートの2重奏で始まる(弦楽伴奏)。寂しげだが優雅な舞曲のようだ。 途中からオーボエが加わり、やがてヴァイオリンも加わる。 このとき、アルトサックスとチェロで対旋律を奏でるのだが、 これが実に物悲しくて美しい。サクソフォンは、1840年代頃に 発明された楽器であるから、まだ、この頃は新しい楽器だった。 それをこのように巧く調理して使うとは、ビゼーは天才だ。 アルルの女には、アルトサックスの有名なソロや対旋律がいくつか 登場するが、いずれも、楽器の特徴を見事に表現している。 アルトサックスとチェロの重奏といえば、時代は下るが、 ハチャトリアンの「剣の舞」の中間部も同じだ。 剣の舞の中間部はかなり妖艶な色が濃いが、 ハチャトリアンもビゼーと似た感覚を持っていたのか、 パクッたのか知らないが、どちらも効果的だ。 中間部が終わる直前に、鐘の音が戻ってくる。ここも実に巧い。 8分の6拍子の2面性をたくみに使っている。 最初は、8分音符3つ単位で、次に8分音符2つ単位で使うことで ゆっくりと鐘の音が戻ってきてやがてテンポを取り戻すように 感じられる。実際にテンポを戻して、最初の音楽に戻っていく。 この1曲だけ見ても、かように実に巧妙に作られている。 カルメンにしても、アルルの女にしても、こんな楽譜のことを、 何も知らなくても、聞いていて楽しいし、気持ちいい曲がたくさんある。 それなのに、カルメンの初演失敗でビゼーはひどく落ち込んでしまい、 体調を崩し、3ヶ月後に亡くなってしまった。享年37歳! 時代も死亡理由も異なるが、ガーシュインより若い? あまりにももったいない。もっと曲を書いてほしかった。
変な表現だが、「ほのかな甘み」を感じる声質。また、張り上げないのがいい。
悲しい歌でも、どこかに救いが宿っている。聴いていると、自分の表情が穏やかな笑顔になっていくのが自分で感じられるのだ。 もう引退して10年になるそうだ。 シューベルトにおいて現代最高といわれたそうだが、フォーレやショーソンなどの フランスものも大変「おいしい」。フォーレの歌曲全集でたくさん聴けるのだが、「夢のあとに」など、ジェラール・スゼーというバリトンが歌っているのが残念。スゼーが悪いわけではないが、全部アメリンクでよかったのになあとファンは思ったりする。 |
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