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育児と趣味の料理とクラシック音楽と
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iPod Classicを買いました。(iPod touchは値段の割に容量が少ないのでやめ)第五世代というやつです。もう、ちっとも新しいわけではないけれど、いいですねー、これ。
それまで使っていたのは、第二世代と言われたiPod。初代と比べて容量だけは増えて15Gになったので、通常の音楽好きというレベルの人なら十分だったと思います。私も当時は満足していました。でも、その後、写真や動画を観られるiPodが出てきたあたりから、事情が変わりました。写真も映画も小さい画面では観られなくてもかまわないと思っていたのですが、Podcastingの普及で、昨年には音楽と合わせて15Gでは足りなくなっていました。それに、Podcastingも音声だけではなく、欧米のニュースなどは映像付きです。さらに、どうやらiPodの内蔵HDDの調子が悪くなってきたり、バッテリーが極端に短くなってきたりして、我慢も限度に来ていました。
購入したのは、80Gのタイプですが、今のところ十分です。私が使っているmacのHDDが120Gなので、音楽やPodcast、画像、映像などのデータとしてはせいぜい80Gしか格納できないから、そのmacと同期するので80Gで十分でしょう。
インターフェースも昔といろんな面で違っていて楽しいです。
デジカメで撮影した子パンダの写真もフルサイズで100枚以上入れても余裕です。
1つだけ難点があるとすれば、ケースのようなものは付属していないので、
後日買いに行かなければならないってことでしょうか。
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悲愴 橋下知事の倹約タクト、大阪の楽団「存亡の危機」という記事があった。
財政破綻に近いと言われる大阪府の知事に就任した橋下知事は、小泉元首相ばりの「聖域なき構造改革」を推進しているようだ。
改革プロジェクトチームの財政再建案では、大阪センチュリー交響楽団や大阪フィルなど在阪のオケへの補助金や支援を廃止するらしい。
日本(世界中?)のオケのほとんどが赤字といわれるが、在阪のオケも数千万円規模の赤字補填に府などからの補助金に頼っているとのこと。
オーケストラが大好きな私から言わせてもらうと、これは楽団の運営方針を見直す絶好の機会と捉えるべきだと思う。演奏のレベルやユニークさを競うだけでは限界があることはもうとっくに明らかなはずだ。そのうえで、各楽団がどうやって収益をあげていくか、「音楽の演奏」に固執せずに考えていかなければならない。収益構造そのものを考えなおすということだ。
企業の例は枚挙にいとまがない。たとえば、富士フィルムという会社は、今でも写真フィルムのイメージが強いが、実は写真フィルムの収益は会社全体の3%程度にすぎないし、鉄道各社は、鉄道旅客事業以外に、人が集まる場所としての「駅」に注目して収益性を最大限に高めようとあの手この手を模索している。Jリーグの経営も参考になる点があるのではないだろうか。
こういった努力・視点を文化団体も持っていく必要があるのだろう。具体的な施策はあげないが、世界のオケの収益構造を調べてみることから始めてもいいのでは。
これは、運営に直接関与する経営者だけの問題ではなく、(楽器の演奏だけしかやらないというかたくなな人が多いときく)職人である各楽団員の意識や行動も変化せざるをえない点が重要であり、厄介な点かもしれないが。
本来論から考えれば、どんなに素晴らしい文化団体だからといって、国や地方公共団体から多額の補助金をもらうのが当然と考える必然性はどこにもない。国民生活そのものを直接支える基盤事業に比べれば、なくなっても生きていける文化団体の支出対象としての優先度は低い。
考えられるあらゆる手段を尽くしても、なお、赤字がまぬがれないとすれば、淘汰されるオケが出てきても仕方ない。東京では、すでにいくつか、合併などによって事実上消滅しているのだ。大阪だけ例外では済まされない。記事には大阪センチュリー交響楽団、大阪フィルのほか、関西フィル、大阪シンフォニカー響と4団体の名前があがっているが、大阪にそれほどの需要があるのかも問題だ。
いじわるな予測だが、需要が今後も同じであるとして、各団体の演奏会の平均集客率(集客数/ホールの加重平均収容人数)が100%に満たないとすれば、淘汰されることによって、残った楽団の収益が自動的に改善することも考えられる。
記事には、「センチュリー響の存続署名は、26日現在で9万1千人分」とあるが、前向きな行動とは思われない。人口880万人をかかえる大阪府にとって人口比1%強程度の署名は財政出動させるのに説得力のある数字ではないし、 第一、収益の改善には寄与しないからだ。
もっと、別な方向で頭を使うべきだと思う。
「クラシック名曲サウンドライブラリー」というサイトがある。コンピュータで制作されたクラシックのmp3データを無料でダウンロードできるもの。制作者が打ち込むデータを注意深く確認すれば、音程やアインザッツなどでのミスが存在しない点が決定的な長所だ。しかし、MIDIや一昔前のmp3は鑑賞用とは決していえないレベルだったが、最近は、そう決め付けられないものになってきた。
特にピアノやオルガンなどの曲は、奏者の(悪い意味での)「癖」がない分、聞きやすいものもあったりする。それに、知らない作曲家の曲が無料で聞けるとなれば、利用しない手はない。たとえば、ジョン・フィールドという作曲家のノクターンは、ショパンに影響を与えたというだけあって、ショパンという川の源流を見る思いがする。
ところが、管弦楽となると、まだ不自然さの方が耳についてしまう。つい最近、ベートーベンの「田園」の全楽章がアップされた。制作者の根気(というか努力というか)には感服するが、やはり聞いていると不自然に感じる箇所で覚めてしまうのだ。
具体的には、トゥッティで(特に弦楽部分か?)音の出だしから少し遅れた頃に音量が最大になる点と、音の終端が不自然なほどまっすぐ(音が減衰しない)すぎたり、音が不自然に長かったりする点だ。また、テンポも安定しているのは一面でいいことではあるが、アゴーギグ(ゆらぎ)がないのは時に気持ち悪い。
また全体に遅めのテンポ設定は、製作者の好みなのだろう。
そのサイトで推薦盤として掲げられているのが、フルトヴェングラーであるから、この点は私の好みと違うだけかもしれない。
かなりケチをつけているくせに、なんかハマッてしまって何度も聞いてしまったのは、きっとベートーヴェンの音楽の本質的な魅力というか底力なのかもしれない。
音楽の素人らしいが熱狂的なクラシックファンのページに行き当たった。 たつやくんのページ。それなりにいろいろなクラシック音楽を聞いているようだが、なかでも、チャイコフスキーにべた惚れのようだ。「チャイコフスキーのある部屋」に入ると、いきなり、弦楽のためのセレナーデの第1楽章(TVコマーシャルで昔、「オー人事、オー人事」のBGMで使われていた)が流れ、「神様のいたずらか何かで、ハイドンとモーツァルトの全ての交響曲をこの世から無くしたとしても、チャイコの三大交響曲だけは是が非でも守りたい」と書いてある。
私も学生時代だったら、こんなページを作ったかもしれない(チャイコへのこだわりは私にはあまりないが)。昔の自分を見ているような気恥ずかしさを感じてしまった。推薦盤の古さも、何か郷愁を誘う。
「はじめましてくらしっ君!」というページには、これからクラシックを聞こうとする人への参考となるように、幅広い時代の作曲家の作品が並んでいる。中には私の知らない作曲家の作品もあって、私にも参考になるものもある。私がクラシックにのめり込んだ最初の頃と似ていると感じさせる点があった。それは、選ばれた曲に声楽関連がないことだ(ほぼ唯一の例外はベートーベンの第9くらいか)。オペラも含まれてはいるが、選曲されたものはすべて序曲などの器楽系。私も最初の頃は、意図的に声の入っていない曲を選んで聞いていたかもしれない。マーラーの曲として、交響曲第1番だけが取り上げられているのは、その傾向を端的に表しているように思う。
また、最終更新が2005年のためか、「のだめ」で何度も流れたベートーベンの交響曲第7番が入っていないのは、今から見るとかえって不自然にさえ感じられる。
ケチをつけるわけではないが、クラリネット関連であえて反論したくなる選曲もあった。それはブラームスのクラリネット曲。ソナタの第2番をしかも推薦盤としてポール・メイエの旧盤である。ブラームスのクラリネットの曲なら、特に「秋に聴くと涙が出てきそう」というのであれば、クラリネット五重奏の方だろうし、ソナタを推薦するなら、せめて、メイエより音を長めに吹く人の方がよいのではないだろうか。
そういう突っ込みはさておき、こういう時期を通り越して、ある種の熱病のような感覚が覚めたとき、それでもクラシック音楽を好きでたまらないと思うことができれば、もっと幅広くもっと深く西洋音楽の歴史に触れることになることだろう。
なんといっても、声楽はグレゴリオ聖歌以前から脈々と流れる西洋音楽の本流であり、クラシック音楽のおそらく半分以上は、声楽関連だから。
録画しておいた『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝「カラヤン 時代のトリックスター」』第一回を観た。カラヤンの指揮した演奏は「美音」を追求したものだとコメンテーターの天野祐吉氏は話されていたが、最近の演奏に耳が慣れた私はあまりそう思ったことはない。録音技術の進歩も演奏技術の進歩もあるのだろうが、カラヤン以降の指揮者の演奏の方が徹底的に整っており、美しい音が聞けるものがたくさんある。では、その分、より感動が深まったかというと、そうでないところが、音楽の面白さかもしれない。私が持っている数少ないカラヤンの演奏は、スタジオ録音であっても、(意図したか否かは別にして)精緻さを犠牲にしても迫力や推進力を感じる。
天野氏は、ライブ録音のザワザワした感じが嫌いでミスを編集で排除したスタジオ録音の方が絶対にいいと言っていたが、私にはそれも賛同できない。私にとって音楽に最も必要な要素は躍動感とか緊張感といったもの(高揚感といえるか?)だ。フランスの某指揮者のように完璧に設計された音響世界は確かに透明感抜群だし、スコアが見えるようで勉強にはなる。だが、それは勉強目的以外には繰り返し聞こうという気になれない。音響が完璧で、しかもテンポも安全に設定された幻想交響曲なんて、本来あるべき異様で生々しい感情の毒気が抜かれた、博物館の死蔵品にしか聞こえない。
話がそれたが、この番組の目玉はおそらく演奏ではなく映像だと思う。それまで私はカラヤン晩年の映像しか観たことがなかったが、その指揮ぶりは晩年のベームほどではないにしても、動きが小さくて観ていてつまらないものだった。しかし、この番組では、若かりし頃の映像がふんだんに流される。若い頃の指揮ぶりは動きもオーバーなくらい大きく、見る楽しささえ感じる。この指揮の様子からは美音とか精密さよりも推進力とか迫力が音楽に込められるのが納得がいった。
それまでの指揮者との比較という意味もあって、フルトヴェングラーやワルターの映像も出てくるので、見逃した方は、再放送(4月8日午前5:05~5:30)を見てみてはいかが?
フリースコアのサイトを見ていたら、Liana Alexandraという作曲家のページがあった。
いろいろな楽譜がおいてあるが、木管五重奏曲は楽譜(手書きらしい)とMP3が置いてある。1947年生まれだそうで、当然ながらハーモニーは現代風だが、ガチガチの前衛でもないようだ。
他にもフルート独奏のソナタにも楽譜(出版譜らしい)とMP3がある。このフルート独奏と上記木管五重奏の演奏は、おそらくプロだろうと思う。聞いていて不安を感じさせないので、MP3だけでも価値がある。
私が気になったのは、アルトサックスとピアノのためのパストラーレ。この曲は楽譜(PCで作成したらしい)だけがあり、音源がないのだが、ざっと見た感じ、初心者向きではない。低音域から判断して、アルトサックスは実音表記されているようだ。しかし、高音域は私には出せないフラジオだ。実音ハイBbやハイCがかなり速そうなパッセージに何度も登場する。自分で楽譜を楽譜ソフトに打ち込めば聞くこともできるが、その元気がない。
興味のある人は、挑戦してみてはいかが?
YouTubeには演奏が見つかったが、画質も音質もかなり悪いので参考になるかどうか。



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